ダンス>演劇と、商店街

昨夜、埼玉県与野本町で上演されたローザスのダンスを観てきました。
すばらしい舞台でした。
このダンスの良さと「商店街のあり方」を
(ちょっと強引かもですが)関連させたいと思います。



「ローザス」などのすばらしいダンスを観たときに感じるのは、
舞台上の瞬間、瞬間が、ある目的への手段でもないし、過程でもないということです。
たとえば演劇にはふつう、筋立てがあって、物語は起承転結という枠組みのなかで、
手段─目的を繰り返すことが少なくありません。
物語の結末を見たいがゆえに、意識は先へ先へと向きがちです。
その演劇にくらべ、ダンスは「一瞬、一瞬が生きられた」芸術だと思います。
「いまのこの瞬間を、目を見開いてよく見ろよ!」
と、ダンスの舞台は迫ってくるようです。
だからわたしは、演劇よりもダンスに、よく没頭します。

さて現在の商店街は、何かの目的を達するための手段であったり、
過渡であると考えられることが多いような気がします。

中延商店街もいつか武蔵小山商店街のようになれるといいね、と
何度か言われたことがあります。
意味するところはだいたいわかりますが、
私は武蔵小山商店街は目指すところではないと思っています。

それは、武蔵小山商店街は目指すべき良い商店街ではない、と
思っているからではありません。
要は、中延商店街は現在、「武蔵小山商店街化」の過渡ではないからです。
それどころかわたしは、いまの中延商店街は、武蔵小山商店街のみならず
何か目標とする形態に向かう途中の「前史」ではないと思っています。

ところで昭和ブームの文脈で、商店街が見直されているようです。
わたしは、中延のもつ、この昭和っぽい雰囲気が好きです。
中延商店街は、いまの時代が「昭和」に回帰している(昭和を見直している)
この状況のなかで、「一周遅れのトップランナー」になれるかもと、夢想したりします。
昭和の雰囲気に懐かしさを感じてもらい、もし多くの方にご来街いただけるとすれば、
とてもうれしいです。

でも、ハッと気がついて、
やっぱりそれは昭和時代の商店街を理想化することではないかと思ったりします。
思い出のなかの商店街だけが美しい、では困ります。
昭和を偲ばせるレトロな商店街、だけではいけません。

現在のありようを、ある目的への過渡とみて、前のめりになることと、
思い出のなかに理想をみること。
それらを、とりあえずやめて、
現に目の前にある商店街を大事にしたいとわたしは思ってます。
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by nakanobuskip | 2007-04-13 11:10 | 日記
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